未曾有の大地震が東日本を襲ったのは3月11日でした。ちょうど5回目のたすきリレーに向けての具体的な検討に入った中でのことでした。東京と神奈川県も大きく揺れました。その後の1か月は、関東でも計画停電が続き、飲料水の購入や給油が困難になるなど、不安定な日々が続きました。「もうたすきリレーどころではない」という思いが日を追うごとに大きくなりました。衝撃的で想像を絶する事態は、社会の様々な営みを自粛ムードに向けました。様々な機関の年間スケジュールから年度末と次年度の企画が消えていきました。ところが1か月を過ぎた頃から全体のムードが変わってきました。この1か月は被災の影響から少しずつでも回復していくという流れとは全く逆で、その甚大さと復興に向けた道のりの遠いことを、日を追う
大きなたすきをキルト仕立て作る。
復興への祈りのメッセージを
皆さんに書いていただきました。ごとに自覚せざるを得ない1か月でした。ところがその一方で新たな機運が起きてきました。それは、このまま全てが足踏みしていたのでは、かえって未来は遠のく、前を向いて進もう、動ける機関や人は、やるべきことはやって行こうというものです。この思いは、被災地である東北の人たちがより強かったと聞きます。実行委員会でも、実施の有無を検討しましたが、ほとんどの委員が実施に賛成でした。むしろ、子ども虐待防止と子どもの明るい未来創出を目的としたたすきリレーに、震災からの復興と被災した日本の子どもたち(私たちは東北の子どもたちは当然のこと、全ての日本の子どもたちが被災したと思っています)の未来を祈る企画を組み入れるべきという声が強かったのでした。こうしてたすきリレーは実施に向けて再び動き出しました。そして未来を祈る企画として誕生したのが「祈りの『Friendship』キルトたすき」の製作です。7センチ四方の布ピースにメッセージを書いてもらい、1枚60cm×120cmのキルトを作り、それをつなげて16m位までの、大きなたすきを作ろうというものです。一人100円でメッセージを書き、集まったお金は義援金として被災者に送られます。大きなたすきを製作することの背景には、かの有名な鎌倉の大仏の存在がありました。
昨年の話になります。第4回目のたすきリレーを終えたばかりの12月。鎌倉児童ホームを通じて、鎌倉市とたすきリレーを通した児童虐待啓発の協働に関して話し合いがもたれました。当日は鎌倉市役所にお伺いし、松尾鎌倉市長をはじめ、市役所の職員の方々と直接お話をさせていただき、もし可能であればという前提で、鎌倉市にある大仏をスタートとし、逗子、横須賀を巡っての三浦半島のコースの設置を提案しました。恐れ多い提案であることは自覚していました。一笑に付されて終っても不思議ではないのですが、話し合いでは「夢ではあるが全く可能性がないわけではない」と前向きなムードで、実現に向けて協力していく方向が確認されました。とはいっても鎌倉の大仏スタートは簡単ではありません。直後の実行委員会では、委員のほとんどは叶わぬ夢と思いました。国宝であり、世界的に有名な鎌倉の大仏です。相手が名実ともに大きすぎます。この夢の実現の立ちはだかる壁は実際の大仏よりも大きく感じられました。様々な方々に相談、ご協力もいただき、とにかく一度だけでも話を聞いていただけたらありがたいと大仏のある高徳院に打診しました。ところが想像に反して、すぐに話しを聞いていただけたのです。当日は私と佐々木副委員長の二人が予定よりもかなり早い時間に高徳院に趣きました。まずは大仏に手を合わせ、住職とお会いできることを感謝いたしました。その後境内を歩いていると、ふと大仏横の回廊内壁にかけられた大きな草鞋が目に入りました。その大きさに大仏のものであることはすぐに分かります。そこに書かれていた説明では、長さ1.8m、幅0.9m、重量45㎏もあるそうです。茨城県の常陸太田市の子どもたちが、戦後間もない1951年に「大仏様に日本中を行脚し、万民を幸せにしていただきたい」と願って作り始めたそうで、以降数年に一度、子どもたちが製作し奉納を続けているそうです。常陸太田市は茨城県の北東日に位置し、今回の震災でも大きな影響を受けたに違いない場所です。私たちは、災害からの復興支援と大仏がつながった感覚を覚えました。その理由のもう一つに、大仏の津波災害にまつわる有名な話があります。大仏はもともと大仏殿内に納められていたのですが、500年前の明応7年に起きた巨大地震により発生した津波が、大仏殿まで到達し仏殿を流してしまったのです。つまり大仏は津波に負けずに座し続けた被災仏なのです。私たちは、戦後の子どもたちと同じように、子どもたちの未来を大仏に祈りたい気持ちで一杯になりました。「祈りの『Friendship』キルトたすき」は、つまり大仏にかけていただくたすきなのです。実はこのことは鎌倉スタートの話が出た時から胸に秘めていたことでした。もちろん実際に大仏にかけていただくわけにはいきません。しかし大きな草鞋を見た時に、完成した暁には草鞋と同じように回廊壁に奉納できたらと、夢のようなことを思ったのです。
佐藤住職は優しく私たちを出迎えてくれました。じっと私たちの話を聞いてくださった後、今度は佐藤住職が子どもの健全な育成に対する思いを静かに語ってくださいました。それをお伺いして、ご多忙にもかかわらず私たちとお会いしていただいた理由が少しわかった気がしました。佐藤住職は、子どもたちの様々な活動、育成プログラムを実施しているNPO法人「鎌倉てらこや」の顧問でもあり、子どもの幸せと明るい未来を人一倍願う方であったのです。我々の稚拙な説明に熱心に耳を傾けていただき、そういう趣旨ならと、大仏からスタートすることを了解されたのです。そして「祈りの『Friendship』キルトたすき」の製作と回廊内壁の掲示についても承諾してくださったのです。話し合いの後は、夢にも昇るような気持ちで、伺った二人はしばし放心状態でした。改めて大仏に手を合わせ、感謝とこれからの成功を祈念いたしました。
こうして鎌倉・三浦コース新設の現実化へ向けて走り始めました。実は三浦地域で新コースの設立を求める声は以前からありました。これは昨年の9月にまでさかのぼります。4回目のたすきリレーに向けてその準備も佳境に入っていた時のことです。ある研修会で、鎌倉・三浦地域児童相談所の寺田所長が、「三浦地域でもたすきリレーのコースを作りたいけど。いいかなあ」と声をかけて来られました。それはとてもうれしい提案だったのですが、一方でこれまでの2コースでもかなり手一杯だったため、困惑したのも事実です。ただ「みんなの負担にならないように、任せてくれたらこちらで動くから」と言ってくださいました。そこで、さすがに2か月後の実施は無理でも、翌年に向けて検討することになったのです。ですから、鎌倉スタートの話があった時には、すぐに寺田所長のことが頭に浮かび、市役所での話し合いの結果や高徳院での朗報を、一早く寺田所長にお伝えしたのでした。寺田所長は、満を持したようにコース設定に向けて動き始めました。第1の中継点として鶴岡八幡宮太鼓橋が決まった後は、第3中継所に逗子市役所、第4中継所は横須賀中央駅前広場と決まっていきました。横須賀中央駅前広場は横須賀市児童相談所が中心に設定し、大規模なキャンペーンが繰り広げられることとなりました。児童虐対応において、県の児童相談所と市区町村との連携は重要ですが、全国的には課題が多いのも事実で、時に起こる虐待死亡事件の背景に二者間の連携の問題が指摘されることがあります。ぎくしゃくがあればこうしたイベントにも表れるものです。スムーズな運びの背景には、鎌倉三浦地域の連携の質の良さがあるのだと思います。このことは神奈川県在住の一市民である筆者とってはとても嬉しいことなのです。児童相談所は激務です。そんな中万難を排して尽力された寺田所長には本当に頭が下がります。また寺田所長は何も話されませんが、行政職の方がこうした活動に積極的に参加することに対して、いろいろな風当たりがないわけではないと推察します。子ども虐待対応には多分野協働が基本とされながら専門別や縦割りによる壁がそれを妨げます。システムや考え方を突破しなくては進めない課題が山積みで、特に行政機関ではなおのことと思います。たすきリレーは、こうした突破を目指してはじめられた経緯があります。こうした趣旨も理解され主体的に動いていただいた寺田所長には感謝の気持ちで一杯です。第5中継所は関東学院大学と決まり、当日行われる大学祭のメインステージ上でのリレーが実現することとなりました。この実現に取り組まれたのは、横浜市のファミリーグループホームである斎藤ホームの斎藤さんです。斎藤さんは湘南コースのランナー役員として毎年最終区を束ねている方です。関東学院大学の非常勤講師も務めている関係から学生と協力し、大学祭とのコラボが実現したのです。第6中継所はセブンイレブン横浜片吹店と決まりました。寺田所長が頻繁に利用するコンビニで、直接交渉して実現しました。コンビニエンスストアがたすきリレーの中継所に入ることは、委員会の希望でした。コンビニエンスストアには虐待を受けて居場所のない子どもや放置された子どもが向かいやすい店でもあり、そうした子どもたちにとっては砂漠のオアシス的な存在なのでしょう。昨年横浜で不幸な事件がありました。コンビニエンスストアでおにぎりとパンを万引きした少年に、店主と警察官が対応したところ、体中に痣があり、虐待を受けていることが分かり、親が逮捕されたのです。食事が与えられず、空腹の限界からのコンビニエンスストアでの万引でした。ちょうど夏休み前の短縮授業期間で給食がなかったことも原因かもしれません。男児の万引きはSOSのサインでもあり、コンビニエンスストアが救済の場となったのです。こうしたことは全国のコンビニエンスストアでも少なからず起きていると思います。カンヌ映画祭で主演男優賞を受賞した映画「誰も知らない」でもコンビニエンスストアに向かう子どもの姿が描かれています。その後神奈川県がセブンイレブン本社と交渉され、セブンイレブンの協賛が決まり、ランナー全員に飲料水とカロリーメイトが渡されることとなりました。さらに湘南コースと都心コースにも1か所ずつセブンイレブンが中継所として加わることとなりました。最後の中継所は横浜市中央児童相談所と決まりました。横浜市は毎年ゴール会場で子どもの遊び場などのイベントブースを出していましたが、中継所としては初参加です。中継後には伊勢佐木町モールもコースに加わり、ゴールまでの最終区間が華やかなものとなりました。鎌倉・三浦コース新設にあたって、重要な立役者がもう二人います。鎌倉児童ホームの秦園長と指導員である川島さんです。鎌倉スタートを事前に調整していたのも、彼と秦園長でした。川島さんはこれまで湘南コースのランナー役員をしており、鎌倉からのコースを願う一人でした。今回は鎌倉・三浦コースの全てのランナー役員を束ねる責任者です。彼の走力は相当なもので、神奈川県の児童福祉施設のマラソン大会では、子どもに交じっていつも先頭を元気に走っています。今回は鎌倉・三浦コースの全区を走り、全体を監督することとなりました。また秦園長と川島さんはじめ鎌倉児童ホームの職員は、常日頃から地域の様々な機関や人たちと交流を深めています。今回のイベントでも、そうしたつながりある機関や企業に声をかけられました。その結果新たにいくつもの後援団体が加わることとなりました。その中には鎌倉の神社等の庭園を手掛ける彩樹園や、鎌倉に行けば必ず目に留まる人力車を運営する鎌倉力車株式会社プラネスなどがあります。
児童福祉施設職員が中心に始まったたすきリレーですが、5回目を迎えてこれに関わる方々の実に多領域に渡るようになりました。各コースの中継点では、施設、児童相談所、市役所、小学校、大学、神社、公園、病院、コンビニエンスストア、東京タワー、スポーツセンターなど実に多彩です。その中で湘南コースでは、平塚の総合公園内に第3区のコースを設け、視覚障害者と子ども達等も参加できるようにしたのです。この企画は平塚市社会福祉協議会の遠藤さんの発案です。実はこの企画が動き始めたのも昨年になります。市民マラソン大会等に視覚障害の方が参加できるよう伴走のボランティアをしている木曜ランナーズの代表である内野さんから、視覚障害者と子どもたちもたすきリレーに参加できないかとの打診をいただいたのです。しかしたすきリレーは公道を走るため、段差も多く危険であることから、昨年は見合わせていたのです。しかしぜひ参加していただこうと遠藤さんが総合公園内のコースを考え、しかも毎年平塚市社会福祉協議会イベント実行 委員会が行っている福祉フェスティバルのプログラムに第3区の走行を組み入れる形で設定されたのです。たすきリレーを各地域の啓発活動に組み入れてもらうのは、実行委員会が常に願っていることの一つです。これまでも湘南コースの永野小学校、都心コースの品川児童相談所など、中継点のある地域や機関のいくつかが、たすきリレーを通して子ども虐待防止の啓発活動を主体的、積極的に行ってきました。今回の平塚市社会福祉協議会の企画は、規模も大きく、かつ障害を抱えた子どもたちが多数参加できることを可能にした点で、極めて優れたアイデアであり、全ての実行委員が感激した企画でした。走るランナーも多彩となりました。300人以上のランナーが集まったのですが、児童福祉施設職員、児童相談所職員、市役所職員、教員、消防士、医師、企業の方、米軍の方など児童福祉の領域を越えて多岐に及びます。それぞれのランナーは、おそらく日常生活のどこかでたすきリレーを話題にするでしょう。それぞれの領域の中でこの話題が少しずつ広がれば、いつかはきっと大きな啓発の輪になると思います。時間はかかるかもしれませんが、こうした広がりは、一瞬で消える一方的な呼びかけよりも、手ごたえのある確かなものと思うのです。ゴール会場のブースも増えました。「祈りの『Friendship』キルトたすき製作」のブースをはじめとして、「子どもシェルター・てんぽ」「全国児童家庭支援センター協議会」「セブンイレブン」「横浜市民生児童委員による綿あめ」のブースなどが新たに加わりました。当日は全てのブースが並び、虐待防止活動の紹介や親子が楽しんでもらえるような企画を展開していました。またプロのデザイナーであるこくぶともみさんが、たすきリレーのイメージのイラストを多数展示されました。ステージ上では午前10時から、歌ありパントマイムありの様々なショウが展開されました。また会場内では学生による着ぐるみのキャラクターが子どもたちと戯れ、大道芸師が得意の技を見せて回り、ボランティアの方々が手作りのリボンを配布するなど、始めたころと比べて随分と華やいだものになりました。ブースやイベントなど、多分野の方々で構成されていることによって、会場の雰囲気に多様さと奥行きが生まれることを再認識しました。
今年のたすきリレーは10月30日の日曜日に行われました。昨年同様、児童虐待防止推進月間である11月に入る直前のこけら落とし的な意味も込めてこの日となりました。1週間前には小山市でたすきリレーが行われ、そのたすきを受け取りました。また前日には滋賀県でたすきリレーが行われ、都心コースで毎年全区を走られている井上さんが参加し、滋賀県のたすき引き継いでこられました。また岩手県では、被災した方々がニット製の手作りのたすきをたくさん作られました。復興への思いの込められたたすきです。身に着けるランナーは気持ちがしまる思いがしたでしょう。渋谷駅前のハチ公像前からスタートを切る都心コースは、日本子ども総合研究所、東京タワー、泉岳寺、品川児童相談所、大田区大森スポーツセンター、川崎市役所、セブンイレブン浦島町店そしてゴールである横浜山下公園へとたすきをつなぎ、神奈川県二宮町にある心泉学園からの湘南コースは、エリザベスサンダースホーム、平塚市総合公園平塚のはらっぱ、セブンイレブンサザンビーチ店、茅ヶ崎ファーム、遊行寺、西横浜国際総合病院、永野小学校、山下公園へとたすきをつなげます。当日の朝は良く晴れた青空でした。3コースは予定通りスタートセレモニーが行われました。スタートセレモニーと一口で言っても、その趣は3コースで異なるものでした。都心コースのスタート地のハチ公像前には、渋谷駅前でもあり多くの方々が集まりました。昨年同様ハチ公像にたすきをかけ、大きな声援に包まれる中でスタートしました。湘南コースのスタートは児童養護施設である心泉学園です。そこには坂本二宮町長をはじめとする地域の方々と施設の子どもたちが集まり、温かい雰囲気の中で、子どもたちの声援を受けてのスタートでした。高徳院では、松尾市長の挨拶の後、大仏を前にしての佐藤住職の祈りの込もった挨拶の後、厳かな気の引き締まる空気の中でランナー全員は大仏様に手を合わせスタートしました。それぞれの第1区のランナーは多彩でした。鎌倉・三浦コースの第1区は、松尾鎌倉市長をはじめ、市役所職員、児童相談所職員、施設職員、市役所職員、格闘家、郵便局職員、企業の方などで構成されています。都心コースは、児童相談所、施設職員、NPOの方、企業の方などです。湘南コースは、学校教諭、施設職員、消防所職員、役場職員等、実に30名のランナーが走りました。1区十数名で走ることとなっているため、二グループに分かれての走行となりました。第1区のみならず、ランナーの希望者はこれまでで最大数でした。ランナーの呼びかけから2週間ほどで各区のランナー定員が一杯になったのです。
朝の青空も正午には曇り空に変わり、2時過ぎには小雨が降りだしました。ただ走り始めたランナーには全く関係がありません。ひたすら笑顔でゴールに向かって走っています。3時半過ぎ、いよいよゴールの時を迎えました。気づくと雨は上がっています。ランナーを迎えるために天気も歓迎してくれているようです。3コースのランナーはタイムスケジュールを大きく外れることなく、山下公園の入り口に入りました。山下公園は海に面して横に長い公園です。最後は3つのコースが3列に進んで一緒にゴールをします。ランナーを迎え入れる山下公園ですが、この山下公園も震災と深い関係があります。この公園は1923年9月1日に起きた関東大震災の復興事業のひとつとして震災による瓦礫を埋め立てて造成された公園なのです。関東大震災は東京のみならず横浜にも壊滅的な被害をもたらしました。その後復興の象徴として瓦礫や焼土を埋め立てて山下公園を造成することになったのです。そして日本で最初の臨海公園として1930年(昭和5年)に開園したのです。それから五年後の1935年(昭和10年)には震災からの復興を祝う復興博覧会がこの公園で盛大に行われたといいます。今回のたすきリレーと震災復興に何かの縁を感じずにはいられませんでした。3時40分、ステージのあるメイン会場からランナーたちの姿が見えてきました。皆笑顔です。それぞれのコースを走った3つの隊列を一緒になってこちらに向かってくる光景は壮観です。ランナーの数が増えたことで、Tシャツの白色とたすきのオレンジがひときわ輝きます。ランナーの隊列は、最後に大きな一つのかたまりとなって、一斉にゴールテープを切りました。誰もがさわやかな笑顔です。皆のたすきに書かれた「子どもに明るい未来を」のメッセージが素直に心に響きました。このわれわれのたすきと、小山からのたすき、滋賀県のたすき、そして岩手県の方々の手作りのニットのたすきは、岐阜県のたすきリレー実行委員会に引き継がれました。たすきは全国の各地でつながれ、来年は再びこの地を駆け抜けます。たすきリレーは、ランナーがたすきをつなぐだけでなく、これに携わっていただくことで多くの方々がつながっていく実感があります。それは子ども虐待防止と子どもの笑顔を願う心のたすきと言っていいのかもしれません。心のたすきは次々とつながれ、やがては大きな心の輪となると信じています。大会のフィナーレで皆が歌う「翼をください」を聴きながら、そんなことを思いました。一般市民も専門家も関係なく、分野や立場がどうであれ、子どもの明るい未来を望む心は一つなのです。