まだ寒い2月の中旬。この日は早朝から降りしきる冷たい雨の日でした。初めて開催される東京マラソンの当日です。銀座や浅草など東京の名所がコースに設定されたことで人気が殺到し、約3倍の抽選の結果、幸運なランナーだけが走れたマラソンです。筆者もその幸運の一人でした。だからなんとか完走を、と昨年の秋からコツコツとランニングを重ねているうち、ふと「せっかく走れるのだから、子ども虐待防止をアピールしよう」との思いがわいて来ました。そこでオレンジリボンキャンペーン事務局にお願いしてリボンが胸に印刷されたTシャツをいただき、さらに願いを込めて「子どもに明るい未来を」と背面に印刷して着ることにしました。かぶる帽子にもリボンをいくつか着けました。スタート前は寒さと雨で憂鬱な気分でしたが、スタートを切った後の2万人が一斉に走る光景は壮大で、一気にアドレナリンが体中に満ちてくるようでした。ただ子ども虐待防止のアピールとなると、これだけ人の中ではさすがに自分のTシャツを見る人など皆無だろうと思いました。ところが10km20kmと進み、ランナーも少しずつ縦長になってくると、「オレンジ頑張れ」とか「虐待頑張れ」(虐待を頑張ってはいけませんが・・・)などと沿道から声がかかり始めます。中には後ろから来たランナーが「子どもは大事だね、良いTシャツだね」と声をかけてくださいました。「日本は子どもに充分なお金をかけない、子どもを大切にしない」などと愚痴をこぼすことが多い自分でしたが、子どもの幸せを願う市民の気持ちはまんざらでもない、いやむしろ思う以上に強いのではないかと思えてきました。マラソンはなんとか完走し、心地よい疲労とともにひとつのアイデアが浮かんできました。それがこのたすきリレーだったのです。あの箱根駅伝のように、オレンジリボンをオレンジのたすきにして、箱根から東京までつないで市民にアピールすることができないだろうか。子ども虐待対応には、複数の援助者、職種、機関の良質な協働があって初めて前に進んでいく。こうした皆が協力して力を合わせる、子どもの未来に向けて力をつなぐといったイメージとたすきリレーのイメージが心の中でぴたりと重なって動かなくなったのです。「なんとか実現したい」、日に日にその思いは強くなりました。
こうした思いを、センターの平山部長や横浜市ファミリーグループホームの斉藤さんといった身近な方々に相談したところ、皆頷いて賛同され、実現に向けて共に歩み始めることとなりました。ところがいざ計画し、実行に移すとなると多くの困難に出会うことになりました。様々な機関に出向き説明する度に、多くの心配や不安、計画の甘さなどが指摘されました。厳しい批判もいただきましたが、その多くはもっともと頷けるものでした。その一つ一つをなんとか解決し、前進の兆しが見えると、また次の障壁が生じてくるといった状況が続き、もう諦めるしかないと何度も思いました。たすきや横断幕の作成、コース設定、タイムスケジュールの設定、警察への許可申請、ランナーの選出、ランナーの保険、安全対策、荷物の運搬方法、中継点やキャンペーン会場の設定、キャンペーンの計画、オレンジリボンの制作、関係機関への後援依頼、スポンサー探し、寄付金の募集などなど、日々の仕事に携わりながら取り組むのは、正直きついものでした。しかし障壁「箱根─東京間オレンジリボンたすきリレー」への思い子どもの虹情報研修センターばかりではありませんでした。この計画を聞きつけて、協力、後押ししてくれる方々が、次々と参加され始めたのです。そのおかげで、走るランナー希望者は増え、キャンペーンの中身がぐっと充実していきました。立場の異なるさまざまな人たちが力を合わせてひとつのことをなし得る。それを示そうと考えたたすきリレーでしたが、この段階で、すでにその願いがかないつつあることに気づかされ、とても勇気づけられました。この感動は一生忘れないと思います。
緊張のスタート11月23日、たすきリレーの初日を迎えました。スタートはあの箱根駅伝でも名所である箱根恵明学園です。ここから東京大手町の読売新聞本社前まで、全15区間115kmを各区6名から10名のランナーがたすきをつなぐことになります。オレンジのたすきの前面には東京マラソンで背中に印刷した「子どもに明るい未来を」を採用していただき、紺の刺繍と印刷で施されてます。背面には「STOP 子ども虐待」と記しました。この日は晴天。箱根の紅葉はみごとで、オレンジ色に輝く楓の葉は、このたすきリレーの成功を祈っているかのようでした。箱根恵明学園のグランドのバックネットには7.5mに及ぶ大きな横断幕と、その上に「きこえるよ、耳をすませば、こころのさけび」と、熊本の小学校5年生の女の子による今年の虐待防止の標語が掲げられていました。その横には学園の皆さんが作られた大きな手作りのオレンジリボンが飾られています。朝早くからかけつけていただいた厚労省虐待防止対策室相澤専門官の挨拶の後、職員の方々や関係者の方々、そして子どもたち全員の温かい声援を受け、田崎園長による号砲のもとに、たすきをつけた1区のランナーがスタートを切りました。
初日の虹センターゴール初日の最終地点は子どもの虹情報研修センターです。箱根から約60km地点で、全コースのちょうど中間点にあたります。初日のコース上には児童養護施設が多く、5施設に中継点を担っていただきました。施設ごと個性があるように、中継所ごとその施設や地域の特徴が表れます。そこがスピードを争う公式の陸上競技とは異なる趣を醸し出し、このイベントの大きな魅力の一つとなりました。近隣の幼稚園の子どもたちが先生方と一緒に作ったのだろうオレンジリボンの旗を懸命に振っての応援、ランナーたちのためにおいしい豚汁を作って迎えられた施設など、それぞれに心温まるシーンが展開されていきます。7区まで40名を超えるランナーによってつなげられたオレンジのたすきが横浜に入ったときにはすでに午後3時を回っていました。渋滞の1号線を進み箱根駅伝第8中継所にあたる戸塚警察所手前を左折すると初日のゴールはもうすぐです。虹センター横にある横浜桜陽高校ブラスバンド部の、この日のために準備された軽快な音楽が流れる中、傘寿を迎える当センター長を筆頭に10名のランナーがオレンジのゴールテープを切りました。施設職員や関係者そして近隣の方々が横断幕を持って笑顔で迎えてくれています。日中は暖かくとも夕方になるとぐっと冷え込んでくるこの季節、用意していただいた手作りの手打ちうどんが冷えた体を温めてくれました。
翌日も見事な秋晴れでした。2日目は横浜、川崎、東京へと地区をまたがって進みます。初日の中継点は児童福祉施設がほとんどだったのに比べ、この日は公園、企業、寺院などが中継所となり、目指すは読売本社前です。朝の冷え込みがまだ緩まない午前9時に、8区のランナーがスタートしました。8区から9区は全区を通じて一番様々な職種のランナーが集まっており、多職種協働の雰囲気が最も感じられる区間でした。児童福祉関係はもちろんのこと、教職員、一般企業の方、地元自治会の方など10名を超えるランナーを、沿道の随所に集まられた地元の方々が声援を送ります。中には地元小学校に通う小学生や、乳児院の小さな子どもたちの姿もあって、子どもの未来を願うランナーにとっては嬉しい励みとなったに違いありません。
日本丸メモリアルパークにてチラシを配布
カンガルーOYAMA企画
みなで作成したオレンジリボンオブジェ9区から10区への中継点は、横浜桜木町みなとみらい地区にある日本丸メモリアルパークです。ここは中継点であると同時に、オレンジリボンキャンペーンを展開する場として位置づけ、午前9時からその活動はすでに始まっていました。この日配布するために手作りのオレンジリボンを2500個も作成しました。背にオレンジリボンを印刷したジャケットを身に着けたキャンペナーが、虐待防止のチラシとともにそのリボンを随所で配っています。キャンペナーには各方面からの多くのボランティアの方に協力していただきました。嬉しいことに、横浜名物の大道芸師の方々が、趣旨に賛同され来場、キャンペーンを盛り上げていただきました。プロの司会者の方や歌い手さんまでボランティアで参加、協力され、華やいだ雰囲気です。さらに日本丸を背に設置されたステージ上では、星槎高校名物の和太鼓が大きな音で響き渡っています。腹の底まで響いてくる見事な太鼓です。後ろの日本丸は、マストを初め随所がオレンジ色の美しい船で、映えたオレンジ色がキャンペーンを後押ししているように感じられました。ステージの横に、「カンガルーOYAMA」の皆さんが一つのコーナーを設けられました。これは集まった方々がオレンジリボンを一つ一つ貼り付けて、高さ2メートルほどのオレンジリボンオブジェを描こうと考えられたものです。ちなみに「カンガルーOYAMA」は、栃木県小山市で起きた子どもの死亡事件を機に設立された団体で、オレンジリボンはここから始まっています。午前11時ごろ、ステージ前で太鼓が響き渡る中、9区から10区へとタスキが受け渡されました。ステージ横のオレンジのオブジェが完成間近で美しく輝いていました。
たすきは鶴見、川崎を超え、東京に入ります。大森、品川駅を抜け、13区から14区への中継点は泉岳寺です。泉岳寺は赤穂浪士47士の眠る著名なお寺です。コースを計画中、ここを中継点として許されるものかどうか、泉岳寺の僧侶の方にご相談したところ快く受諾していただきました。また参道のお店の方にこの趣旨をお話したところ暖かい励ましの言葉をいただきました。このことも、忘れられない思い出のひとつです。最後の中継点である日比谷公園を過ぎ、ランナーは銀座を周るように進み、いよいよ最終ゴールである読売新聞本社前です。
感動のゴール午後3時をすぎると、ゴール地点にはすでに数十名のジャケットを身に着けた関係者やボランティアの方々が集まっていました。その数が時間とともに増えていきます。前日や当日のすでに走り終えたランナーたちも、続々と集まって来ました。午後4時を過ぎました。最終区のランナーの姿が見えました。多くの参加者の大きな拍手の中、ついにゴールテープを切りました。箱根から約115kmにわたる全コースを皆の力で走り抜けました。みな笑顔で、表情には走り終えた満足感が満ちています。笑顔はランナーだけではありません。これを計画し、実行に移していった関係者の誰もが笑顔でした。事故もなくたすきが無事につながったことの安堵感、さすがの疲労感、そして達成感と満足感で心の中が一杯になりました。
神奈川から東京にたすきを繋ぐランナー
読売新聞本社前での記念撮影 数日して、2日間にわたった数々のシーンが写真として収められているCDを映像担当の佐々木さんからいただき、すぐに開いてみました。箱根から東京まで、ランナーの走る姿や中継の模様、応援する人たちの姿が数多く映し出されています。驚いたのは、このCDの中にも笑顔がびっしりと詰まっていたことです。どの写真をみても、そこに写っている人たちが皆笑顔なのです。中には苦しそうなランナーの姿だったり、つまらなそうにしている人がいてもおかしくないと思うのですが、どれをとっても笑顔なのです。こう思いました。おそらく参加された方々は、心から子どもの明るい未来を願い、自分がしようとしていることの意味を感じて参加し、そうしていることに喜びを感じていたのだろうと。実は、イベントを終えて、次の日には別の気持ちが沸いてきていました。それは責任と大きな不安でした。来年も実施せねばという思いと、果たして来年もできるのだろうかという不安です。これを計画してからというもの、多くの方々の理解と協力がなくては決して成し遂げられないという事実を身にしみて感じてきました。ゆえにこの協力が来年も得られるのだろうかという不安です。しかしCDに収められている方々の笑顔は、「また来年も」という強い気持ちを抱かせてくれるに充分なパワーを秘めているものでした。参加していただいた方々への感謝の思いが溢れ出て来ました。
箱根から東京へとタスキはつながりました。次は今年から来年へとこのオレンジのたすきをつなぐ番です。